石鹸をそんなに使わないでください

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月の裏側を通る雲

 大学1回生の秋。雲が月の裏側を通ることをはじめて知った。雲は厚く月を隠すものとばかり思い込んでいた。何のことはない、月があまりにも明るい夜には、その光が薄雲を透過してしまうというだけのことなのだ。

「月の裏側を雲が通っていたんだがどういうことなんだ」という自分の問いに対する「月が明るすぎるからだよ」という素朴な答え。

 この一往復だけの会話のやりとりに自分は辱められてしまったように感じた。複雑な理論に詰められるでなく、誰もが直観できる素朴さに丸め込まれたことで、喉元がなんだかかゆくなってしまった。自分は生まれてから20年間、自分の頭上で反復されていた素朴な事実を無視して過ごしていたのか。喉元のかゆみはアブラヤシの実に着いた残り火のように尾を引いた。尾を引いたかゆみは次第に、世界の素朴だがつぶさな観察が人を驚かせてしまうという事実への称賛へと変わっていった。

 ある小説の一場面、薄く雪の積もる道を歩いている男女。会話の途切れたところで男が一息、右手に持っていた鞄を左手に持ち直す、その描写。それだけの描写にある時、自分は面食らってしまった。誰もが観察できることであるが普段は意識に上らないような動作や出来事、それを改めて述べてしまうこと、急に図と地がひっくり返った。カメラのピントが狂わされたことに不可解にも愉悦をおぼえた。詳細な出来事の開陳はそれだけで美しい。

 そんなことを考えながら薄暗い鴨川沿いを歩いている。雲が月の裏側を通るたび、少しの恥ずかしさに手癖で喉元を掻いてみる。